善光寺寺子屋文化講座/2006年10月1日(日)

「アーティストがお寺にできること」

於:善光寺

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1)はじめに

 こんにちは。籔内佐斗司でございます。小一時間ほどお付き合いをお願い致します。また、どうぞお楽にお聞き下さい。

 ただ今ご紹介を頂きましたように、私は彫刻家です。木曽檜を使って寄木造りという技法で彫刻をし、漆を塗って、その上に日本画の顔料で彩色をしています。こういう彫刻技法を使っている作家は、現代の彫刻界ではたいへん少数です。しかし、実はこうした作り方は、平安時代以来連綿と続いてきた仏像技法を基にしているわけで、わが国の彫刻家の本道を踏襲していると密かに自負しています。

 そして私がこの技法を、いつ、どうやって修得したかというと、実は仏像の修理を通じてなのであります。ですから、私は、「彫刻の作り方を仏さまに教えて頂いた」とよく説明しています。

 今回の善光寺さまとのご縁は、門前にある白蓮坊のご住職である若麻績敏隆さまを通じてであります。ご住職とは、以前から親しくおつきあいをさせて頂いております。

ご住職は、私と同じ東京芸大で日本画を学ばれていますが、学生時代は学年が違いましたのでおつきあいはなかったかと思いますので、いつからのご縁かははっきりとおぼえておりません。しかし、東京の展覧会でお目にかかったり、大正大学の関係があったり、私が東京の八王子のお寺に仏像をお納めしたときに、その開眼法要でひょっこりお目にかかったりと不思議な仏縁がいろいろ重なって今日に至っています。

 先般、白蓮坊にゆかりの「むじな地蔵」の像をお納めし、参道にもブロンズの作品が安置して頂きました。参詣のみなさんの人気者になっているとお聞きし、とても嬉しく感じています。
善光寺 白蓮坊 むじな地蔵

 そんなご縁で、本日の寺子屋講座でお話をさせて頂く事になったわけでありますので、本日の講演のテーマは、「アーティストがお寺にできること」とさせて頂きました。

 善光寺さまでもさまざまなイベントが行われていることと思いますが、京都の寺院では今、ミュージシャンやパフォーマンスアーティストがさまざまな奉納のイベントを行っています。ちょっとしたブームといえるほどたくさん開催されています。先日も東福寺さんで「音舞台」という日本航空がスポンサーをする音楽イベントに行って参りました。もう19回目ですから、この種の催しとしては先駆的なものといえます。醍醐寺さんで行っておられる成田屋さんの歌舞伎も毎回大変盛況で、市川海老蔵襲名時の醍醐寺公演は、立錐の余地もないほどの客の入りで、演出も演技もたいへん高い評価を得ておりました。またフォークグループの「ゆず」というのが奉納公演をするとかで、インターネットの先行予約を行ったら3000枚のチケットが数分で完売したという話も聞いております。京都市内の大小の寺院では、いつもどこかでジャズやロック、また演劇や演芸の公演が行われています。

 寺院のイベントブームについてはご批判もさまざまにあるようですが、基本的には生活習慣から仏教が気迫になりつつある現代において、寺院に若者が集まってくることは大いに喜ばしいことであると私は思います。

 わたしどもの造形作家は、音楽家やパフォーマンスアーティストのように華やかではありませんが、それでも地道に寺院との関わりを模索しております。それは、先ほど申しましたように、私自身が彫刻技法を仏像の修復を通じて学び、作品が表現する世界観も仏教から教えて頂いたものが多くありますので、ほとけさまに対するささやかな恩返しのつもりで行っているわけです。本日はそんなお話をさせて頂こうと思っています。

2)ほとけさまに教えて頂いた彫刻技法

 今を去ること30年ほど前ですが、私は東京芸大と大学院で6年間、いわゆる西欧風の彫刻技法を学びました。たとえばギリシアやローマの大理石彫刻やロダンの人体彫刻、ヘンリームーアなどの抽象的な彫刻を思い浮かべて頂ければはやいと思います。

サモトラケのニケ
ミロのヴィーナス

地獄門/ロダン

横たわる像 /ヘンリー・ムーア

しかし、どうも自分自身に納得できないものがありました。大学で学んだものを基にして自分なりの彫刻表現をしようとしたとき、その概念や技法がすべて外国からの借り物を背負い込んでいるような気がして、違和感を感じてしまったのです。

 その一方で、大学を出たばかりの若者が彫刻家で生活をしていくなどもちろん至難のことでしたので、何か手を動かして生活できる道をみつけようとも考えておりました。そこで、大学院にあった保存修復技術研究室という地味な小さな研究室にもう一回入学をし直したわけです。自分が本当に納得できる彫刻技法を学び、ついでに仏像の修復技術を習得して生活の糧にしょうと、今から考えるとたいへん安易な考えだったわけですが、当時の私は真剣でした。

 そのころ、この研究室の主任教授は、西村公朝先生でした。
西村公朝先生

全国の国宝や重文のほとけさまの大半がお世話になっておられる財団法人美術院の国宝修理所長を兼務しておられたわけです。残念なことに私が入学した年に人事異動があり、私自身は先生から学生として直接ご指導を頂いたことはありませんでしたが、折に触れお話やお手紙で励まして頂いた記憶があります。

 私は、この研究室に一年間だけ学生として在籍し、あとの五年は、助手として研究室運営に携わりました。したがって、私の最終学歴は、東京芸大大学院中退になっております。中退した人物が、25年後にそこで教授に採用され、今では博士号の審査までしているというたいへん名誉なというか、妙なことになっているわけであります。

 西村先生のあとを、日本画家の平山郁夫先生と彫刻家の澄川喜一先生が継がれ、私は両先生のお手伝いをすることになったわけです。

 そして、お茶くみ電話番をしていた5年間に、たくさんの仏像の調査や修復をさせて頂いた経験が、その後の私の人生を決定づけました。

3)文化財の保存と修復というしごと

 さて仏像の保存修復というのは、よく医者のしごとに喩えられます。

 表面の彩色や漆塗りの層が剥落しているのを直すのは、水虫ややけどを治す皮膚科のようなものです。玉眼という水晶でできた目が外れていたりするのをもとに戻すのは眼科です。鼻先や指先が欠けてなくなっているのもよくある症例ですが、これはさしずめ整形外科になります。彩色をし直して綺麗に化粧直しをすることもありますから、美容師のようなこともします。

 木の表面が虫食いや木材不朽菌でぼろぼろになっているのを直すのは、合成樹脂を注射器で注入して固めるような皮膚科的処置で済む場合もありますが、新しい材料で補作したりする外科手術のような処置をすることもあります。

 像全体ががたがたに緩んで、自立出来ないようなものも多く見られます。こういった場合は、もっとも重い治療である全面解体修理という大手術を行います。

 15年ほど前に東大寺南大門の仁王さまの大修理が行われましたが、これなどは全面解体修理の代表的なものです。

 また修復をするまえには、さまざまな検診を行って、病状を把握することも大切なしごとです。

 お医者さんが患者の状態を書き込むカルテを、我々は「調書」と呼んでいます。そして寸法を測ったり構造や材質を記したり、写真撮影やX線撮影をし、目視による診断をして、治療の方針を立てていきます。

 そのほかに私どもの研究室では、3Dレーザースキャニングというデジタル技術を用いて仏像の三次元データを収得しています。
安楽寿院阿弥陀如来立像 3D画像
興福寺旧東金堂本尊 3D画像

CTやMRIなどの先端医療技術のもう少し簡単なものとご理解頂ければ結構です。このことによって、貴重な仏像の完全な形状を記録することができますから、今後彫刻文化財の保存修復の現場では、この3Dレーザースキャニングが、仏像調査の標準的な調査となっていくことと思います。

 私は阪神淡路大震災が起きたとき、最初に心配したことは京都や奈良の仏像のことでした。それは関東大震災によってもたらされた関東地方の文化財の破壊がいかに甚大なものであったかということを知っていたからです。
「阪神淡路大地震」
「関東大震災」

もしも関西地区の文化財が倒壊や火災で焼失してしまったら、現状では完全に復元することは不可能です。ことに彫刻文化財に関しては、どんなにたくさんの写真や図面があっても、二次元の情報から立体を復元することはできません。

最近起こった新潟沖地震でも多数の文化財が破損し、文化庁などの修復関連予算がそちらに優先的にに振り向けられて、数年間はほかの修復の助成金の獲得がたいへんむつかしくなるという事態もありました。

考えてみて下さい、もしもどこかの地域から神社仏閣や仏像が消滅してしまったら、その地域がどんなに寂しいものになってしまうかを・・・。

 そんな気持ちもあって、私が現職に就任したときに最初に手がけたのが、3Dデータの集積事業でした。3Dデジタルデータがあれば、万一のことがあっても、すくなくとも形状だけは完全に復元することができますから、彫刻文化財の保護の観点からも、3Dデータの取得と集積は緊急に推進されるべきだと思っています。

 また、すこし余談になりますが、デジタルデータはモニター上でどのような加工も、また様々な表現も可能にします。いろんなイベントや美術館・博物館での活用もまだ緒に就いたばかりで、無限の可能性を秘めていると言っていいでしょう。本日、会場に関連部署の方がいらっしゃいましたらぜひ前向きにお考え頂きたいと思っています。
3Dデータの応用
LOTUS IN CRYSTAL
籔内佐斗司の制作した蓮のスキャンデータから応用
快慶作 大日如来坐像頭部等高線表示図
(快慶作・大日如来坐像頭部からのスキャンデータの応用)

 だいぶ話がそれてしまいましたが、このような、わが国の文化財修復の発祥は、明治39年、東大寺の勧学院という建物に、岡倉天心の薫陶を受けた新納忠之助らに率いられた美術院第二部が事務所を設置して三月堂の仏像の修復をはじめたちょうど100年まえが発祥なわけであります。彼らの修復理念は、作られた当時を尊重し、現状を大きく変更しないという現在の大原則を世界に先駆けて打ち出した近代の文化財保護理念の先駆的なものでありました。

 現在、財団法人美術院は京都国立博物館の中にある国宝修理所で、重文以上の仏像や大型の工芸品の修理を行ってきましたが、数年前には、奈良国立博物館のなかにも立派な修理施設がつくられて、そこでも修復作業を行っています。

4)東京芸大の文化財保存学とは

 さて各地の大学には、医者を養成したり基礎医学を研究する医学部があるように、東京藝術大学の大学院には文化財保存学という部門があります。これは、先ほど申しあげた、わが国の文化財保護の先駆者であった岡倉天心が、東京芸大の前進である東京美術学校の創立者であったことにも由来していると思います。日本画の団体展である「院展」を主催する「財団法人日本美術院」と、仏像修復の「財団法人美術院」とは、天心が創立した「日本美術院」をルーツにする兄弟の関係にあるわけです。こうして考えていきますと、岡倉天心という人物は本当に偉大であったと思います。
岡倉天心先生

 先ほど申しあげた保存修復技術研究室が組織を拡大して、文化財保護を総合的に研究し人材を育成するために、現在、私が勤務する文化財保存学が十年前に出来ました。

 この研究室では、たんなる修理技術を学ぶだけではなく、その仏像が作られた当時の材料技法を解明し、それを追体験することによって、古典技法を身に付けた人材を育成し、本当に優れた保存技術者を育てるとともに、わが国の創作分野において伝統的彫刻技術を有した人材の層も厚くしようとしています。

 そのもっとも有効な方法の一つに、仏像の復元的模刻があります。

 ちょうど今年の夏に、柳生の円成寺さまに私どもの学生をお預かり頂き、このお寺に残る運慶が25歳の時に制作した大日如来坐像の模刻作業をさせて頂いています。運慶から900年後の現代の25歳の若者が、同じ年の運慶に挑戦しているわけです。
円成寺「大日如来坐像」

 昨年は、興福寺ご所蔵の「龍燈鬼」と、もうひとつ東大寺所蔵で、奈良国立博物館寄託となっている「弥勒仏(通称、試みの大仏)」をふたりの学生がそれぞれ模刻させて頂きましたが、興福寺、東大寺の両寺院と奈良博のたいへんなご理解を頂いて、意義のある研究業績を挙げることができました。

益田芳樹 修了制作
「龍灯鬼模刻」
小林恭子 修了制作
「弥勒仏坐像」

 また当研究室では現在、奈良県との境にある浄瑠璃寺の大日如来坐像の修復を行っています。この像は、平安時代最末期から鎌倉初期の慶派の仏師によって制作されたことを窺わせる像として知られていましたが、近世の修理によって像容が著しく変えられておりました。そこでご住職の希望によって、現在私どもの研究室で全面解体修理をして当初の姿に近づける作業を行っています。慶派初期の実に見事な大日如来のお姿が現れつつありますので、奈良の名物がまた一つ増えることになると思います。

 名物といえば、私が保存修復技術研究室に所属していた1983年に高畑の新薬師寺に安置されていた六尺の大きなお地蔵様の修復をさせて頂きましたが、なんとこの像は、体内に等身の裸の像が隠され、その上に板を張り付けて衣を彫り出すというたいへん希有な構造をもった仏像であることが分かりました。
新薬師寺「おたま地蔵」
「二次像(修理後)」
「一次像(修理後)」
構造見取り図

当時美術史界のみならずマスコミにもたいへん大きな話題を提供いたしました。現在その像は新薬師寺の香薬師堂に「おたま地蔵」として多くの参拝客を集めています。

 京都府宇治市の平等院では、私ども研究室とお寺の共同事業として、ご本尊はもちろんと50数体におよぶ雲中供養菩薩について、先ほど申しあげた3D計測によるデータの保存を継続的に実施しています。

 このように、私どもの研究室は関東近県はもとより、全国各地の寺院ともたいへん密接なおつきあいをさせて頂き、お寺の特段のご理解を頂きながら、学生や若い研究者の育成にお力を頂いているわけです。彼らのうち何人かは、将来必ず、寺院の復興や修復にお力になってくれるものと信じています。