花王芸術財団「顔と文化」

2007.6.23

「ほとけの顔もなんとやら〜仏像のお顔のはなし〜」

大手町サンケイプラザホール
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こんにちは、籔内佐斗司です。

ただいまご紹介を頂きましたとおり、今日は、ほとけさまのお顔についてのおはなしをさせていただきます。

私は彫刻家としてたくさんのひとの姿をつくってきました。童子の像や、動物などありとあらゆるものを作ろうとしてきたわけです。しかしほんとうのことをいうと、その奥にある命の本質はなんだろうと探してきたように思います。こころとかたちということばを最近よく耳にするようになりましたが、形のむこうにあるもの、すなわちこころが実は瞳の奥に見えるのではないかなと思っていますので、作品のなかで瞳をとてもたいせつにしてきました。

ちょっとだけ仏教的なお話をさせてください。といっても私は僧侶でもないし、特定の宗教、宗派に所属しているわけでもありませんので、私の勝手な解釈であることを最初に申し上げておきます。

むかしから「山川草木悉有仏性」あるいは「草木国土悉皆成仏」ということばがあります。山も川も草も木もこの世のすべてはほとけの一部なのであり、かならず仮のすがたから開放される、すなわち成仏するという考えです。仏教で言う「ほとけ」とは、この世そのものと言い換えることができると思います。ほとけを如来ともいいますが、「如しのかなたより来るもの」という意味だと私は思っています。山というのは、ひとが山の如きものを山と呼んでいるに過ぎません。川も海も雲も、人も獣も草も木も、その本質を呼ぶ言葉ではなく、すべてこの世の一部が仮にそんなような形をしているだけであり、それを「そのような物」とひとが認識することで初めて存在するのだというのが仏教の世界観です。この点が、「すべての存在は全能の神がお創りになった」という一神教との最大のちがいでしょう。仏教的世界観では、この世はすべて仮りのすがたであり、何物でもないもの、なにものにもとらわれないものを、すなわち空(空は決して無ではありません。)なのだということです。そして空なるものが、さまざまなかたちに生々流転する法則を仏法と名づけたわけです。この法則を深いところで感じることのできた人を仏陀、すなわち悟りを得たひとというわけで、仏陀は必ずしも釈尊ひとりではなく、いままでに何人にも存在すると仏教ではいっていますし、これからも現れると説いています。

ですから、ほとけ、如来、空はみんなおんなじことを言っているのですね。

そして私の童子たちは、その如しの彼方からやってくるこころのちからといいますか、生成発展の源となるエネルギーを象徴しているわけです。


ほとけさまの種類)

仏像はいろんな種類があって、とても複雑です。またそれをもって、仏教は多神教であといわれますが、ほんとうは、釈迦をモデルにした像とそれ以外の像の二種類しかありません。

まず、如来と菩薩と明王はお釈迦さまがさまざまに変容された姿です。そのほかの四天王や神将、大黒天や弁才天のような神さまの像、それに仁王さまなどは、いずれも釈迦の教えに帰依した異教の神々や聖人を表しています。

如来とは、衆生救済の願いを成就しこの世の実相を看破して悟りを開いたひとのことをいいます。阿弥陀さま、お薬師さん、お釈迦さんなどの像があります。こんな感じです。

【左から、平等院阿弥陀、新薬師寺薬師、室生寺釈迦】

持ち物や印相という手のかたちで、如来の性格や作用の違いを表現しています。仏教において、釈迦のほかに阿弥陀や薬師が生み出されてきた過程は、実はあまりよくわかっていません。釈迦の教えに近い原始仏教には、釈迦以外には如来は存在しなかったのです。

【向源寺十一面観音】

つぎに観音さまに代表されるこうしたお像は、菩薩といいます。菩薩は、衆生救済の大きな願いを持って修行をしている状態をあらわします。装束は、出家前ですので、王族の格好をしています。菩薩は、利他という実践を伴わなければなりません。これが大乗といい、したがって小乗仏教では、菩薩信仰は発達しませんでした。小乗仏教の国である東南アジア諸国の寺院には、釈迦の像ばかりで、観音さまもお地蔵さまもまつられてはいません。
【不動明王】
【愛染明王】

そのほかに、お不動さんのようなおっかない顔をした仏像は明王といいますが、これは菩薩がひとびとを救おうとして必死になっているときの形相ですので、菩薩の変容したものと解釈できます。あたまのうえにあるとげとげのようなのは角ではなく、振り乱した髪が冠からほどけている状態を表しています。

【地蔵菩薩立像】

このほかにお地蔵さまのようなおぼうさんの姿をした僧形もありますが、これは仏像では地蔵だけで、あとは僧侶の肖像彫刻です。

そのほかに天部といって、四天王や仁王さま、またさまざまな異教の神々の像があります。
【東大寺戒壇堂四天王】
【東大寺仁王、興福寺阿修羅】
【興福寺阿修羅】

仏像の人気ナンバーワンである阿修羅像も、天部に属します。また大黒さまや弁天さんもそうです。

【延暦寺大黒天】
【浄瑠璃寺吉祥天、】

ほとけさまの像は複雑なようですが、おおむねこれらに分類されます。如来と菩薩は、釈迦の姿を現しています。そしてそのほかの像は、お釈迦様の像ではないわけですね。


ほとけのお顔の構造)

では、ほとけさまのお顔の構造についておはなしします。この図をごらんください。
【阿弥陀如来全図】

まず頭のてっぺんからいきましょう。このお餅のような形を肉髻といい、その下の部分を地髪といいます。これは、けっして頭がこのように盛り上がっているのではなく、インドのひとたちは、長く伸ばした髪の毛を頭のてっぺんでくくっています。仏像が作られはじめたころの釈迦像をごらんいただくとわかりますが、このようになっています。

【ガンダーラの釈迦像】
【マトゥラーの釈迦像】

あきらかに髪の毛を結わえていることがわかりますね。バラモン教を起源とするインドのシーク教徒はターバンを巻いていますが、あのターバンのなかをごらんになったことがありますか?じつは3〜5メートルもある長い髪の毛なのです。それをカタツムリのようにぐるぐる巻きにしてから、ターバンで押さえているわけです。たぶん2000年前も、王族や上層階級のひとたちは、髻を高く結い上げて美しく装飾していたのでしょうが、貧しいひとや修行者たちはこのように長い髪の毛をぐるぐる巻きにしていたのでしょう。これが徐々に意匠化され、肉髻になっていったと考えられます。あたまのうえの毛は、縮毛状態というかパンチパーマです。このひとつひとつを螺髪といいます。わが国の仏像は、ほとんどが螺髪で表現されますが、中国などでは必ずしもそうではなく、縄状の髪の毛をぐるぐる巻きつけているように表現されるものもあります。

【清涼寺釈迦如来】

その下の部分を地髪といいます。肉髻と地髪の境目に赤い大きな丸いものがあります。これを肉髻珠といいます。螺髪のあいだから皮膚が見えているといわれています。なんの意味があるのかよくわかりませんが、あるひとの説によるとお釈迦さまはてっぺん禿だったそうで、それを象徴化したものであるというひともいます。

【出山釈迦像】
たしかにそのような絵画や彫刻がありますが、釈迦在世中のものではありませんので真相はわかりません。

さて髪の毛と額の境目を「髪際(はっさい)」といいます。髪際のすぐしたに丸いいぼのような物があります。これを白い毛という意味の「びゃくごう」といいます。お釈迦さまの眉間には、白く長い毛が一本生えており、これがときどきひゅるひゅるっとのびたりまたくるくると縮んだりしたそうです。それを象徴的に表現したものです。お釈迦さまの様子はとてもシュールなのです。舌は牛のように長くて、自分の頭と顔をぺろりとなめることができたといいます。

顔と体は金色に光り輝いていたといいます。仏像を金箔や金メッキで覆うのはそのためです。光背も光り輝くオーラを表現したものです。

眉は、群青の絵の具でシャドーを描いて、その中心に黒い線を一本引くのが一般的です。

目は切れ長です。インドや西域、中国北部の仏像は、二重まぶたが多いのですが、わが国の仏像の多くは一重まぶたの作例が殆どです。

口元。人中という上唇の真ん中の盛り上がりはくっきりしています。

ひげは、鼻の下左右に二本、口の下にのの字形にひとつ描きます。

あごは、二重あごです。

首には三道といわれる三本のしわがあります。

耳は大きく縦に長く、耳たぶには大きな穴が開いています。菩薩は王族の時代の釈迦ですからおおきなピアスのような耳飾をつけていたわけで、出家してからの如来の像には穴だけが開いていることになります。
次に菩薩の顔についてお話しましょう。
【菩薩全図】

菩薩とは、如来すなわち覚者になろうと発心し、修行をつんでいるひとのことです。釈迦の一生でいうと、王子の時代です。したがって、髪型や装飾品は、王族としてのものです。高く髻を結い、冠をかぶり耳飾をつけています。腕釧、臂釧、足釧という飾りをつけています。如来の耳たぶに大きな穴が開いていますが、これは出家する前の王子の時代に耳飾をしていたことの名残です。

また、こうした菩薩の姿は、当時のインドの高貴な男性の衣装なのです。ちなみに菩薩の菩は「香草や薬草」の意味で、薩は「助ける」という意味です。菩薩の修行は、具体的に効能のある救済を行うひとのことで、いわゆる大乗仏教のなかで説かれるほとけです。東南アジアのような小乗仏教の国では、出家してからの涅槃にはいるまでの釈迦の教えを尊びますから、釈迦如来のほかの仏像はほとんど作られることはありませんでした。

菩薩の代表は、観音菩薩がいます。この観音さまはおとこかおんなかという質問をされることがあります。釈迦の姿を象ったものであるという解釈からすると、あきらかに男性です。しかしカトリックにおいてマリア信仰が起こったように、仏教でも女性的仏像が求められたのでしょう。観音様に代表される菩薩の慈悲の功徳に、母性を感じて、女性的な菩薩像が意図的に作られたことは大いに考えられることです。


仏像における顔の変遷)

「インドにおける仏像お顔」

お釈迦さまが亡くなった当時は大変神格化され、その姿を絵や彫像で表すことが禁止されました。ですから、生前のお釈迦さまのすがたを知る具体的な造形物はまったくありません。最初は、輪宝や足跡などでその存在を示すだけでした。いまもその名残として、寺院には輪宝紋がよくみられますし、仏足石もありますね。

【サーンチーの大塔】

釈迦の像すなわち仏像が描かれ彫刻されるようになったのは、紀元前1世紀ころといわれています。

【マトゥラーの仏像】

【ガンダーラの仏像】

インダス川流域のマトゥラー地域と、いまのパキスタンあたりのガンダーラ地域で、ほぼ同時期に始まったようです。

当時のインド中部地区にはまだアーリア系民族との混淆が進んでいなかったとみえ、このようなアジア的なかおだちをしています。それに引き換え、アレキサンダーの遠征によるヨーロッパ人の侵攻によって、ガンダーラ地方は、今のアラブ系のひとのように彫りの深い顔をしています。西洋史観では、仏教はガンダーラ(今のパキスタン地域)においてギリシア文明の影響を一方的に受けた事になっています。みなさんも世界史でそのようにならった事と思います。しかし、前の東大寺の管長さまで、イスラム学を研究されている森本公誠さんは、仏教と接触したことによって、ギリシア地方にも仏教は拡がったという論を唱えておられます。仏教が西に広まったという意味で仏教西漸説です。たいへん興味ある学説だと思います。


中国の仏像のお顔)

北魏

北義系仏像、アルカイックスマイル、服装の特徴、日本への影響

[ 中国における仏像のお顔 - 北魏系仏像 - ]
[ 日本における北魏系の仏像のお顔 ]

【如来三尊立像】

【菩薩頭部】
【法隆寺 釈迦三尊像】

敦煌

[ 中国の仏像のお顔 - 唐 - ]
【如来頭部】
【如来頭部】
【如来坐像】

龍門の石仏

唐の末期には、仏教の排斥運動「廃仏毀釈」がおきて、以後の王朝は仏教より儒教を国家の中心にすえ、また民間では道教が仏教を吸収していきます。

【奉先寺洞】


朝鮮半島の仏像のお顔)

【慶州石窟庵本尊像】

東南アジアの仏像のお顔)