脱活乾漆像の制作技法研究  興福寺 国宝 八部衆の内『迦楼羅像』模刻
文化財保存学専攻 保存修復(彫刻) 菊 池 敏 正
  
はじめに
 現存する仏像彫刻のほとんどが木彫像である。しかし天平時代は金銅仏や脱乾漆像、木芯乾漆像、古典塑像など日本彫刻史上最も多様な展開を見せた時代である。その中でも脱活乾漆像は天平時代以降の作例は少なく不明な点が多い。今回の研究において興福寺八部衆迦楼羅像の制作に取り組み、制作者の視点からの技法解明、当時の仏師の追体験を目的とした。
『迦楼羅像』 像高149,0cm 国宝 天平時代
 迦楼羅像は興福寺曼荼羅で西金堂群像中での位置を見てみると、中尊釈迦像の右後方、群像の右後方隅に阿修羅と並び頭部を左に向けた姿でたっている。鎧の厚みに対し体が細身なところは飛鳥時代の特徴を受け継いでおり、体に対して頭部が大きい点や、阿修羅像の顔の表情などから解るように子供がモデルとなった像だと推測される。乾漆像の八部衆が揃うのは興福寺のみであり大変貴重な像である。

制作行程
1)原型芯木 乾漆像の従来の見解では、芯木は像内木枠としてそのまま再利用される説と、原型芯木は一時的なものであり塑土と共に除去されるという説がある。今回の模刻では、X線写真から判断し後者の説を選択した。よって十字形木架を基本とし、逆V字型木架を脚部とする芯木を作成した。
2 )土造り 塑土は水分を多く含み膨張した状態で使用するため、乾燥によって亀裂が入らないように、石英や長石のなど膨張しない鉱物を多く混入する必要がある。また、籾殻や藁を混ぜることにより塑土が軽く丈夫になる。藁、籾殻を水に浸すことにより、藁に含む浸出液の膠着作用で粘性を増加させる効果もある。実際の土造りにあたり、日本左官業組合より頂いた100年前に造られた土壁の電子顕微鏡写真と、今回作製した土の等倍率の電子顕微鏡写真を比較検討した。
 使用した土の配合比率
荒土  粘土:砂:藁  5:3:1   中土  粘土:砂:籾殻  5:5:1                         
3 )古典塑像 モデリングは水分を多く含んだ状態で軽く土付けを行う。乾燥と共に土が締まり芯木に巻き付けた縄に食いつく。古典塑像で仕上げる場合は割れが生じた部分に再度土を埋めていくが、乾漆像の場合はかき出し易くするためそのままの状態にしておく。      
4 )布着せ 麻布は麦漆を用いて五層貼り重ねた。
5 )かき出し 古典塑像で使用される土を使用したため、容易にかき出しを行うことができた。麻布が土に軽く付いている状態である。土のかき出しが困難な箇所には水を含ませるとかき出し易くなる。そうすると布着せした形が広がる場合があるが、再度形を締める意味でも縫合が必要になるのではないかと考える。 
6 )芯木挿入 縫合 像内に挿入する芯木はX線写真をもとに制作を行った。本像の芯木は従来推定されているような芯木構造とは若干異なる。縦三本の芯木の位置は推定構造と変わらないが、横芯木の構造は棚板状ではなく、角形の木口を持った材であることが解った。それらの位置は整然としたものではなく、いずれも傾きを持ったものである。今回の研究では縫合を「−」を連続(裏では「/」の連続)する縫い方で縫った。
7) 木屎漆による造形 木屎漆は八部衆の内体幹部を欠損している五部浄像から漆、挽き粉、麦、もしくは糊を混ぜ合わせただけではなく黄褐色のものを配合していると考えられている。今回の模刻においても椨粉を使用した木屎漆を作製した。当時の木屎漆を再現するにあたり、漆は大変貴重なものであり塑型厚も限りがある。なるべく安価で厚塗りが出来、乾きの早いものと考えるのは当然であろう。まず椨粉をお湯で耳たぶ程度の柔らかさになるまで練り、そこに小麦粉、漆を混ぜる。その後挽き粉を入れながら使い易い状態の堅さになるまで使い易い状態になるまで入れる。さらに麻の繊維を加えるとへら離れもよくなる。
 上記の木屎漆は従来の木屎厚よりもかなり厚くモデリングできる。今回の制作においては3.5cmの厚みの木屎漆が乾燥した。
8 )錆漆 塗り 木屎漆によるモデリング後、錆漆による下地造りを行った。1層目は地の粉を水練りし、それと同量の漆を混ぜたものを塗る。2層目は砥の粉を水練りし、同量の漆を混ぜたものを使用した。錆漆を軽く研ぎ形を整え彩色を行う。
9 )古色彩色 本像の彩色については天平造立時のものがそのまま残っているのではなく、大部分が承暦二年と貞永元年の二度にわたる補彩で覆われている。髪部や肉身の彩色、毛筋の切金は鎌倉時代のものである。しかし鎧前垂縁の金箔地に描かれた偏向唐草文、腰鎧下の小花文などには天平時代の彩色が残る。これらは生漆を塗った後、下地として白土を施し彩色されている。
 今回の模刻制作では乾漆部分の仕上げまでを目標にした。

考察
 脱活乾漆技法研究を行った結果、椨粉を混入した木屎漆はモデリング材料として非常に使用し易く当時の素材に近づけたのではないかと思う。迦楼羅像を模刻するにあたり乾漆像独特の柔らかさを表現することを意識し、最終的には量を足して仕上げるよう努めた。しかし形を造って行く際に彫刻刀による仕事を余儀なくされ、カービングによる堅い形になってしまう。そのためには一度で形を決めるモデリング技術が必要になり、何度もやり直す結果となった。乾漆像が造像された天平時代においてもその技法は常に変化し、より造り易く耐久性のある素材や道具を追求していったと思われる。乾漆技法が伝播し衰退するまでの短期間、日本において如何に展開されてきたか興味は尽きない。今後の研究課題として継続していきたいと考えている。

おわりに
 今回の研究において、研究室ホームページ作成企画に伴い『OBを訪ねて』という企画のもと多くの先輩方の意見やアドバイスを頂きながら制作を行うことができたことを感謝いたします。また今年度は興福寺国宝展が大学美術館で開催されシンポジウムに参加することにより興福寺の歴史を知り、時代背景を感じることができた。この貴重な体験をもとに今後もさらに研究と技術修練に取り組んでいきたいと思う。

参考文献 
奈良六大寺大観刊行会編『奈良六大寺大観』第七巻興福寺 1969 岩波書店
本間紀夫『天平彫刻の技法_古典塑像と乾漆像について』  1998 雄山閣
久野健 『乾漆仏』(日本の美術7)           1997 至文堂
山崎隆之 奈良時代の乾漆技法_芯木と布貼りについて  仏教芸術193 1990毎日新聞社
松浦正昭 興福寺金堂の造営と迦楼羅像        仏教芸術160 1985毎日新聞社