博士研究論文要旨

「天平時代における乾漆技法研究」

  秋篠寺所蔵乾漆心木及び断片による復元考察

1305939

文化財保存学専攻保存修復彫刻研究領域

菊池 敏正

■研究の背景

 天平時代は日本彫刻史上、最も多様な技法展開を見せた時代である。様々な技法の中において脱活乾漆技法は、漆を塗料として使用するだけでなく接着剤・モデリング材などの用途に存分に活用した技法である。しかし、天平時代以降の作例は少なく、木彫像が主流になるにつれ衰退の一途をたどる。脱活乾漆技法が伝播し衰退するまで、技法や材料は常に変化し、より造り易く耐久性のある素材や技法を追求したと考える。また、乾漆造りに関する近年の先行研究は大きく二つの説に分類され、それらが対極に位置する。このような問題点にも制作研究を通して、解決方策を見出したいと考え本研究を着想するに至った。

■乾漆造り関する先行研究(脱活乾漆技法•木心乾漆技法•木彫技法の関係性の見解)

■研究対象•研究目的

 脱活乾漆像制作における塑造原形時の心木と、乾漆像内に挿入された心木が同一と判断される天平時代末期の作例である秋篠寺乾漆心木を研究対象とする。秋篠寺乾漆心木は各部材を鉄釘で固定する点や、随所に見られる枘穴が興味深い特徴である。秋篠寺乾漆心木の制作時期は、官営工房の終焉がみられ、自営工房が成立し始める時期である為、特徴ある心木構造は自営工房により制作された可能性もある。しかし、天平時代末期の作例である秋篠寺乾漆心木に見られる特徴は、脱活乾漆技法の改良により発生した新たな脱活乾漆技法であるとも考えられる。天平時代末期における秋篠寺乾漆仏の制作技法を解明し、且つ同時代に用いられた、その他の技法との関係性を追求することを目的とする。

■先行研究に対する本研究の意義

1
秋篠寺乾漆心木の制作技法









秋篠寺乾漆心木の小角材の意義
2
脱活乾漆技法と木心乾漆技法の関係
(形式的、伝統的類似or技法上の発展)  

心木構造、木心乾漆部分から形式的類似
or技法上の発展を検証 

3
木彫技法と木心乾漆技法の関係

木屎漆の厚み、木彫技法の基盤の有無を検証

4
脱活乾漆技法衰退の要因
天平末期の脱活乾漆技法のデメリット

■研究方法

 秋篠寺乾漆心木の現状模刻及び復元考察をおこない、制作当初の心木構造を復元する。さらに、2分の1縮尺で制作した秋篠寺乾漆心木に塑土を盛りつけ、小角材の意義について検証する。秋篠寺には脱活乾漆像の残欠が僅かながら残されており、それらの調査及び心木構造を参考に秋篠寺乾漆仏の復元制作をおこなう。

 

■秋篠寺心木模刻制作に関する考察

 秋篠寺乾漆心木模刻を通して、勢いよく手斧で仕上げられている部分もあるが、各材の組み合わせ方は非常に考えられた構成であり、枘穴、貫の位置、各材の結合する角度の調整は慎重を期する作業であった。心木は、微妙な角度を調節できるように遊びを持たした構造でもあり、一見大まかな作りに見える部分に先人の知恵を感じる。秋篠寺乾漆心木には各材の結合を含め、高度な木工技術の基盤がある。小角材を差し込む枘穴は、非常に多く、角度も様々である。作業効率を考えた場合、単なる塑土止めではない印象を受ける。一般的な心木には塑土を止める藁縄を多く巻き付ける必要があると思われるが、秋篠寺心木は藁縄を多く巻き付けた場合、完成像を強く意識させる心木の動勢を失う恐れがある。多くの小角材は、藁縄を多用しなくても塑土を保持することが可能であると考える。小角材の長さは、あらかじめ調整しておくことにより、塑土を盛りつける目安にすることも可能である。このことから、秋篠寺乾漆心木には同時代に類を見ない特徴ある乾漆技法が存在していたと言える。

 秋篠寺乾漆心木には、上膊部に一木彫像の背刳りに良く似た構造の内刳りがあり、腕の大部分は木心乾漆技法で制作されている。このような特徴や秋篠寺乾漆心木の複雑な構造から、脱活乾漆技法が衰退するこの時代においては、多くの技法が混在していた事を示す作例であると言える。また、これらの特徴から判断した場合、脱活乾漆技法と木心乾漆技法は形式的な類似に留まり、木心乾漆技法成立の基盤には、木彫技法の存在が伺える。このように、多くの技法は直線的に変化し、移行するのではなく、様々な技法が並列し転用されていたと考える。最後に、塑像と比較した場合、重量が軽い脱活乾漆像であるが、強度においては木心乾漆像、木彫像に劣るものであった。このような問題点から脱活乾漆技法の衰退要因に結びつく可能性を感じる。今後更に研究を深め乾漆技法を追求し、乾漆技法の成立、衰退に関する見解を深め、文化財保存修復の現場において役立つものにしていきたい。


1.本間紀男『X線による木心乾漆像の研究』 1987年2月、美術出版社。

2.平子鐸嶺「夾紵像考(下) 」 (『國華』251) 1911年4月、 國華社。

3.久野健  「Xレイによる彫刻の調査 ー光學的方法による古美術品の研究ー」(『美術研究』163 )1951年11月、美術研究所。

4.浅井和春「天平後期木心乾漆像の成立 」 (『美術史』106) 1979年2月、美術史學會。