特別講義

= シ ン ポ ジ ウ ム =
「興福寺 波乱と復興の1300年、そして今」

 藤原氏の氏寺として永い歴史を持つ名刹・興福寺が、実は源平の戦で灰燼に帰し、また明治初めには廃仏毀釈の嵐のなかで無住の寺となって疲弊の極みに達したことなどを取り上げながら、その都度不死鳥のごとく蘇った1300年の歴史を概観し、復興の原動力となったみほとけたち、現在進行中の境内整備計画などについて、文化財保護の理念と意義を照らし合わせながら考えます。


開 催 日 時
2004年 10月11日(月・休)1:00〜3:30PM

会 場 
東京藝術大学美術学部 中央棟第一講義室

主催:東京藝術大学大学院美術研究科・東京藝術大学大学美術館東京藝術大学美術学部「杜の会」
後援:興福寺友の会ほか
企画・運営:東京藝術大学大学院美術研究科 文化財存保存学保存修復彫刻研究室


= シ ン ポ ジ ウ ム 進 行 内 容 =

興福寺1300年の歴史、その歩みをパネリストの方々と紐解いて参ります。

パネリスト紹介
◆多川 俊映 興福寺貫首
◆鷲塚 泰光 奈良国立博物館館長
◆鈴木 嘉吉 興福寺境内整備委員会座長
◆金子 啓明 東京国立博物館事業部長
◆藤岡 穣  大阪大学文学研究科文化表現論専攻助教授


司 会
◆山根 基世 NHKアナウンサー



1)草創期から平安時代までの興福寺
興福寺はいったい、いつ・誰が・どうして建立したのか?初めはどんな寺院だったのか?
どんな仏像が安置されていたのか?
奈良時代から平安時代にかけての興福寺の軌跡について語っていただきます。

2)治承4年の焼亡から鎌倉復興期の興福寺
鎌倉時代、強大な力を誇っていた興福寺は否応無く戦乱へ巻き込まれます。
治承4年(1180年) 平重衡による南都焼討でほぼ全焼――。
しかし、藤原一族の氏寺であった興福寺は焼亡の翌年から復興を開始します。
再建への歩み―復興に深く関わった南都仏師たちと造像された仏像群―に焦点を当てます。


3)近世から近代の興福寺
鎌倉時代の復興後も幾たびの落雷や火災に見舞われますが、およそ300年の間は比較的安定した時期を過ごします。 
しかし、藤原氏の衰微とともに、興福寺もその力を徐々に失い、享保2年の火災後は再建にも困窮、中金堂は仮堂のまま明治維新を迎えることとなります。
そして慶応4年(1868年)神仏分離令――興福寺はどのような状態であったのしょうか?
悲惨な状態であった興福寺が、明治時代の古社寺保存法の制定を経て、その後文化財保護法の制定以降の昭和の復興への道程を語っていただきます。


4)興福寺の境内整備構想〜天平の文化空間の再構成〜
そして現在。興福寺の境内が発掘され、創建当初への伽藍復興事業が行われています。
今後の、境内整備構想(中金堂・中門・南大門の復興など)や、復興に伴う文化財と礼拝空間の歩みよりと展望について語っていただきます。