4)興福寺の境内整備構想 ー天平の文化空間の再構成ー

山根:
 ということで近世・近代の興福寺さんの様子を振り返ったわけですが、こうしてめでたく国宝館もでき、平成10年1998年に古都奈良の文化財として世界遺産にも登録されるということにもなります。この年1998年から境内整備構想がスタートしております。
 この境内整備構想、どういう意図でスタートしたのか鈴木先生、お願いします。



鈴木:
 さきほどでましたように、興福寺は中心がわからなくなったお寺になってしまったわけですけれども、現在の興福寺の仮金堂があるところは講堂の跡ですけれども、薬師寺の今の白鳳伽藍の復元が昭和46年から始めたわけですが、それでいらなくなった薬師寺の古い講堂をもらってきまして、少し改造して建てて、というのはそれまでの幕末の仮金堂がもう本当の仮堂だったものですから、えらく傷んできた。これを何とかしなきゃという話がだいぶ以前からあったのですが、そのためにその薬師寺の講堂を使って新しい仮金堂にして、先々代のご住職から何度もここにあった仏さんのために、せめて中金堂は復元したい。その後もお寺としては一生懸命中金堂を復元をしたいというので、いろいろ運動をして、勧進の許可も得て始めるんですが、もう力がなくてとうとう、できなかったわけですが、いよいよ300年ぶりになんとかしようということで始めたわけです。 
 実際にはさっき申したように奈良公園になっていますから、近鉄の駅からあがってくると、松の木の中に、お寺にきたんだか、公園を通っているんだかわからずに、興福寺があったかなぁといいながら、東大寺につく。そういうお寺になってしまったわけであります。それでは残念だということで、なんとかお寺の形をみせたいと。昭和42年にこの境内を史跡ということにしまして、国の史跡の指定になりまして、史跡という以上、興福寺の形がみえるようにしないということで、この整備計画で建物がなくなってしまったこの辺を中心になんとか考えたいと、実は模型も作っておるんですが。模型でありまして、中金堂はできるとこんなに立派になります、これは塔で東金堂、これは現在ありますね。これは食堂を復元する形で国宝館を作って、ここに北円堂があり、ここに南円堂があり、ここに三重塔があり、この辺を中門があり、回廊が囲んで、この中心に中金堂のところにとりつける、こういう姿を礎石や基壇をもう一度地面の上に見えるようにして、昔こんなお堂があったんだと見せたいというのが整備構想で、西金堂も方もやりたいし、あるいは北円堂なんかも元々回廊があったもんですので、そういうんも作りたいとか、一番大事なことは塀をつくりたい、
 第一期にこのへんのところだけ、中門、回廊、中金堂の基壇あたりを平成 10年から10ヶ年計画で19年までに整備したいというので、現在行ってごらんになりますと、中門、回廊も基壇と礎石が並んで昔はこんな建物だったのだなぁとわかってきています。 整備の一環としてやるもんですから、その前に発掘をしなければなりませんで、これは中金堂を発掘したところです、この後のお堂が薬師寺から持ってきた今の仮金堂であります。今度、金堂回廊部分は今はただ草が生えているだけでなんですかれども、礎石を発掘して並べてきて、中金堂のこの場所には天平時代のお堂を何とか復元したいということで、これは一所懸命、先頭にたって募金をよびかけて、協力を呼びかけているということです。
 この発掘をしてびっくりしたんですけれども、基壇というのは普通は地面の平なところから版築といいまして、薄い層をだんだ突き固めていくんですが、これは地山を残しているんですね。以前はこの辺の小高い山だったのをこの講堂の分だけ切り取って そこに礎石をすえているというのがわかってきました。大変頑丈なやり方で、ほかの奈良のお寺ではみられないわけです。ここに礎石が並んでいるんですが、これも非常にびっくりしたんですけれども、中金堂は享保まで7回火災にあっているんですが、7回の再建にずっと同じ礎石を使い続けてきて、この礎石がたった2つが動いただけであとは全部和銅7年に草創された、その時の礎石がそのまま続いている。従来の仮金堂が一回り小さいかったのですが、今度はもとの規模で復元したいと考えています。

山根:
 あくまでも原型、天平空間を復元するということですね。

鈴木:
 そうですね。興福寺はいつも天平の建築を復元し続けてきた。その中でも少しずつ時代によって技術によって、サイズが違ってきているが、こういう柱の配置なんかは天平のままずっと現在まで伝わってきているんです。こういう恰好というのは、さきほど出ました春日曼荼羅とか興福寺の中世からの絵がいっぱいございます。そういうのにお堂が描いてございます。
 また江戸時代のはじめに、その時のお堂を実測した図面が残っております。そんなものをいろいろ参照しながら、天平時代の興福寺の中金堂というのはこんなものだったと。ここで申し上げておきたいのは、中央が大きく上に立ちあがって周囲が裳腰といって、屋根が二重になっていまして、法隆寺の金堂なんかは屋根は二重になっているけれど上の部分は見せかけだけなんです。しかし興福寺のこういう裳腰つきのお堂は、なかが天井の高い空間になっていまして、この中央には10mもある長い柱があるんです。こういうお堂というのは、これも興福寺ではじめてできまして、この後東大寺の大仏殿が同じように作られた。東大寺の大仏殿はこういう風に作ったから、大仏さんが中に大きくいられるで、二重になっていても法隆寺みたいに作ったんでは大仏さんは入れられないんでね。そういう点で日本の天平式の仏堂の、中国から輸入した最新式的の形でして、それを初めて造った興福寺の一番最初の姿を何とか復元したいなぁと思っております。

山根:
 このように中金堂が完成いたしましたら、この中にどんな仏さまにどのようにはいっていただくのか、鷲塚先生、いかがですか?

鷲塚:
 建物は新しくいたしますが、現在仮金堂にご安置している仏さまを当然お戻しをする。わかる限りもとの位置に安置することでよろしいんではないかと思いますが、貫首さんのお考えはいかがですか。

貫主:
 当然、今仮金堂におられますご仏像を、中金堂にお戻ししてご安置するということでございます。

山根;
 仮金堂から中金堂復原へ、こうして計画が進んでまいりますと、奈良公園になっております部分とのバランスはどうなるのでしょうか?

貫首:
 奈良公園は位置的にも興福寺の境内と重なっておりますし、これとのバランスを取るのはむずかしいことなわけです。明治からのことを興福寺はかなり被害者的な立場から振り返りがちでしたが、今更そんなことをしても何もならないわけでして、当時は日本の社寺を公園として活用しようという、そういう時代だったと受け止めざるを得ないんです。しかし、やたらに木を密植してきたことが天平の伽藍が持っていたであろう開放感といいましょうか、それが損なわれていることがきちっと解明されてきた場合、天平空間をイメージしながらもとに戻していくのが私どもの勤めだと思って、現在やっているわけです。簡単にいってしまえば史跡を整備していくことですが、それをやっていくことが、結果的には名勝奈良公園の内容をグレードアップしていくことに直結すると確信しながら、私どもは境内整備をさせていただいております。 
 
山根:
 回廊や土塀についてどうお考えでしょうか。

貫首:
 それは、私の後の代のことでして・・(笑)。
 興福寺では、天平時代から伝えられたものの修理を明治30年代からずっとしてきたわけですね。そして平成9年に南円堂の修理が落慶いたしまして、これで明治以降の修理が一巡したと思っています。まあそのうちに五重塔の修理がはいってくるわけですが、言葉は適当ではないかもしれませんが、その間隙にといいますか、この機会に境内をできるだけ元の姿にもどしていくというのが私の最大の務めかと思っております。

山根:
 今日のシンポジウムも長時間続けて参りましたけれども、いよいよお時間も迫って参りました。最後にせっかくの機会でございますので、それぞれのお立場から、これからの興福寺のあらまほしき姿や平成の大復興事業に期待することなどを一言づつお願いして、最後に貫首さんにこれからの興福寺の姿を伺って、しめくくりたいと思います。
まず藤岡さんからお願いします。

藤岡:
 私は美術史を勉強しております。そうした立場から申しますと、たとえば今回の展覧会は、貴重なご仏像を目の当たりに拝観させていただける大変ありがたい機会です。こうした機会をつくっていただいたことにまず感謝申し上げたいと思います。
ご仏像が信仰の対象であることは言うまでもありません。ただ、今回の展覧会でご仏像を拝見した経験がまさにそうなのですが、ご仏像から感銘を受ける、芸術として、あるいは人の営みとしてのご仏像から感銘を受けるということがあると思います。たとえ信仰に根ざしたものでなくても、現代において、そうした経験はかけがえのないものだと思います。こうした一面にもご理解をいただいて、中金堂の復興にあたっては宗教空間としてのみならず、ご仏像の公開の場としてもご配慮をいただけると幸いです。なかなか両立の難しい問題かもしれませんが、ぜひとも信仰の場、公開の場という両面が実現するような新しい空間をつくっていただきたいと思います。

山根:
 はい、ありがとうございました。では鷲塚さん。

鷲塚:
 私は、興福寺さんの伽藍復興を、博物館という立場から一番脅威を感じて見ております(笑)。国立博物館でお預かりしている重要な仏さまがすべてお寺にお帰りになってしまうと、私どもはどうしていいのやら・・。ご相談しながら、いろいろお考えいただけることを期待しております。

山根:
 はい、では中金堂の復原を担当される鈴木さんは。

鈴木:
 私は建築屋ですから、図面を引いたり模型の監修がしごとで、今、中金堂の20分の1の模型の写真が映っていますが、展覧会場にもこの模型を展示しています。模型は作ったんですが、実際の建物としては、2010年が和銅3年に平城京に興福寺が創建されてからちょうど1300年になるわけで、この年に、せめて中金堂の立柱式だけでもしたいということを貫首さんが考えておられて、私はそれを支えていくというような立場でございます。なんで「せめて立柱式」なのかというと、大きな建物を作るのは今の建築基準法では許可をしてくれないんですね。木造建築で大きいものや背の高いものは特別な許可を得なければならない。もうひとつは発掘の写真をご覧いただきましたけど、発掘された当初の遺構をきちんと残した上に新しい建物をつくらなければならない。そういうことのために、復原模型はできたんですけれども、今後、遺構の保存のための基礎の造り方とかの設計をしなければならない。また本体が今後の地震やなんかにも丈夫でいられるように構造計算をしなければならないし、まだこれから一山も二山もございまして、それらを乗りこえてやっと2010年の立柱式に漕ぎつけたいと。そこから先は、ご住職がどれだけお金をあつめるかによって、いつまでに何ができるかが決まってまいります。まあ普通のスケジュールからいって、順調にお金が集まっても、立柱してから5年か6年かかってようやく完成になりますが、私はその時にはたぶんいないだろうと思っております(笑)。

山根:
 まあまあそんなことをおっしゃらずに・・・(笑)。金子さん、いかがですか?

金子:
 平成10年に、興福寺を中心とした古都奈良の歴史的景観と文化財が世界遺産に登録されたことは記憶に新しいことと思います。奈良が世界的に注目されているということであります。政府のほうでも観光立国宣言をしておりまして、奈良というのはその拠点になる場所であろうと思います。そうしたなかで伽藍の再構築を興福寺さんがされるというのは、非常に重要な意義をもっており、私たちの文化のあり方を考える上でも極めて重要な事業になってまいります。ご苦労も大変だと思いますが、是非頑張っていただきたいと思っております。 

山根:
 ほんとうにそうですね。では、貫首さんお願い致します。

貫主:
 今回の芸大で開催しております展覧会でも、境内整備事業についてご紹介しておりますが、興福寺の場合はいつの時代でも天平回帰というのが大テーマであります。私などは、その大テーマを平成の世に実現する事業をちょっとだけやって役目は終わりになって、あとは次の世代にお渡しすることになると思います。復興事業というのは形の復興だけでなく、今回の展覧会でも鎌倉復興に動いた九条兼実とか解脱上人貞慶という人たちのコーナーを設けていますのは、そういう人たちの確固たるイメージがベースになって鎌倉の復興事業が動いていったということをお伝えしたかったわけであります。そういった意味では私たち自身がちゃんと復興のイメージを持たないと、こういう大きな仕事はできないと思っております。
 形より心といいますが、心の部分をしっかりとイメージして今回の仕事を完成したいと思っております。鈴木先生がおっしゃって頂いたとおり、非常にハードルが高い、いろいろな意味でハードルが高い事業なんですけれども、みなさまの力を得てやっていきたいと思います。そのためにも2010年まではとにかく生きていないことには、どうしようもありませんし、さきほど鈴木先生はもう生きていないとおしゃっておられますけれど、こういうことをいう人にかぎってお元気でいらっしゃると思います。どうぞよろしくお願いいたします。



山根:
 平成のこの世の中に天平空間をどうしても再現したいという思い、天平空間のかたちを復元すると共に、信仰の場としてのこころの復興もともにお考えになっておられるわけですね。

貫主:
 興福寺の境内は、伽藍という形がなくなってしまっているんですね。これまでの興福寺は公園の中のお寺とでもいいましょうか、言葉はいいんですけれども、要するに信仰の導線を失っている。信仰というのは一種の道筋をしめすものなんですね、それをはっきり視覚化したものが伽藍だと思っておりますので、導線をしっかりとしたかたちで復原できれば、みなさん方を天平世界へ誘いすることも当然できやすくなるわけです。ただ形だけができればいいと決して思っておりません。信仰の道筋をつけるというつもりで興福寺の伽藍の復興を進めていきたいと思っておるわけであります。

 

山根:
 ありがとうございました。創建1300年になる興福寺の歴史、その中でたびたび被災し、壊滅的な状況をかかえながらも、たくましく復興してきたことを見て参りました。その中には失ってはならない日本人の心というものがあるから、今に伝わってきたのではないかと思われます。このシンポジウムで、美術と信仰はなかなか微妙な間柄ということもわかったわけですが、心というものを形として伝えてきたものが伽藍であり、仏像であり、絵図というような美術作品であるということだと思います。そして、いつまでも興福寺が、天平びとのこころをかたちとして見ることができる場所であり続けてほしいと思います。
 本日はありがとうございました。