東大寺俊乗堂 快慶作 阿弥陀如来立像模刻制作について

文化財保存学専攻 保存修復(彫刻)   吉水 快聞

研究目的

現在「文化財」と呼ばれる仏像は、当時信仰の対象として造立された。模刻を通して仏像の製作過程を体感することは文化財の保存修復に必要不可欠な要素であると考える。本研究は、現在の阿弥陀如来立像の様式の原点と考えられる快慶作の阿弥陀如来立像の模刻制作を通じ、制作当時の技術・時代背景を追体験し、古典技術を習得することを目的とした。

模刻対象である阿弥陀如来立像について

名称:木造阿弥陀如来立像 所有者:華厳宗大本山 東大寺
制作年代:鎌倉時代 作者:快慶
品質:木造(ヒノキ材)玉眼 金泥 截金 指定文化財の区分:重要文化財
法量(cm): 像高 98.7 袖張(最大幅) 32.2  最大奥 28.7

本像は東大寺俊乗堂内向かって右奥の脇壇の厨子に安置されている。本像については『東大寺諸集』に由来が記されている。これによると建仁二年(1202年)三尺阿弥陀金泥仏を造り始め、翌三年に仏舎利・心経・菩薩種子・真言等を仏身に奉籠した。俊乗房重源が所有の珍財を投じ、施主は法橋寛顕で、解脱房貞慶が供養導師となり、作者は「法眼安阿弥陀仏」(快慶)であった。また左足ホゾ外側面には針書で「広岡ニテ承元二年九月一日 細金始」とある。本像は建仁三年の納入品奉籠で一応の完成をみた後、足枘銘に記すように五年を経た承元二(1208年)に改めて截金による荘厳が施されたとみえる。もうひとつ、右足ホゾ正面には薬研彫りで「アン(梵字)」と刻まれ、安阿弥陀仏と号した仏師快慶の作者銘と思われる。

構造)
 本像はヒノキ材の一木割り矧ぎ造りである。頭体幹部を縦一材から彫出し、両耳中央やや後ろを通る線で前後に割り矧ぎ、内刳りを施して三道下で割り首し、玉眼を嵌入する。両肩以下から裙裾に至る両側面材を矧ぎつけ、右側面材から右袖を彫出した後、体幹部材と右袖の間に右太もも側面を別材で矧ぎつける。背面は襟下から背面裙裾に至る背板をあてる。両手首先より別材で矧ぎつける。足ホゾは体幹部材より彫出し足先は別材を寄せる。

制作工程

今回の模刻制作では、実際の像の3Dデジタルスキャニング計測が可能となり、そのデータを活用することで、より正確に模刻制作を行うことができた。また仕上げの段階でオリジナルの像を拝観する機会にも恵まれ、3Dと写真のみを参考とした制作の限界についても再認識することができた。

1.木取り:材の無駄を出来るだけ少なくし、オリジナルの像と同じ構造で木取りを行った。

2.荒彫り:まず正面と側面から輪郭をおとし、丸鑿等で最も突出している部分をきにしながら、斜めの量もおとしていった。ある程度形になってきたら、衣文なども具体的に彫っていった。                                         

3. 割り矧ぎ:体幹部材を前後に割り矧ぐ。針葉樹であるヒノキは木目が縦に真っ直ぐ通っており、縦に斧等を入れるときれいに割れる。一材を割った面同士は割り箸を割ったときと同じように正確に一致する。この性質を利用したのが割り矧ぎ造りである。(写真1参照)しかし実際は、割り矧いいだ直後から1、2ヶ月は矧ぎ目が正確に一致するが、徐々に木が乾燥して変形し、矧ぎ目が合わなくなることがわかった。

4.内刳り:内刳りにより材の干割れを最小限に抑えることができる。また像の軽量化にもつながる。

5.小造り:小道具や彫刻刀を使い細かな彫りを進めていった。

6.割り袖:原本の右袖は、腕の正中よりやや内側で割ってあると思われる矧ぎ目が、腕の上面から確認できる。同じように袖上面から鑿をいれて袖を割り矧いだ。これにより袖の内側を容易に深くまで彫ることができた。(写真2参照

7.割り首:ある程度首回りの位置関係が決定したら割り首を施した。丸鑿を三道下に菊花状に打ち込んで、割り矧いだ。(写真3参照)割り首により頭部の彫刻がきわめて容易となった。

8.仕上げ:全体のバランスを見ながら徐々に彫刻面を整えつつ形をつめていき、時間の許すかぎり素地仕上げを進めていった。

9.玉眼嵌入:面部の裏からまぶたを取りすぎないように錐であたりをつけながら眼を刳りぬいた。水晶製のレンズを目の裏からはめ込み、目を描いて、綿をあて、当て木をかぶせて竹釘で固定した。

制作所見
● 本像では随所で像を美しく、なおかつ彫りやすくするための合理的な工夫がみられる。体幹部と右袖の間の太もも側面は一度袖を右側面材から彫出したのち、右太ももの側面を別材で矧ぎ寄せている。また背面右袖の端にも小材を別材で矧ぎ寄せている。(図1参照)これにより体幹部と右側面部のそれぞれの材の中に形を無理やり納めると矧ぎ目直線的な形状として現れるのを防ぎ、さらに袖の奥まで彫ることができる。これらの箇所は一見別材でなくても彫出できそうであるが、実際に行ってみると、別材を寄せなければ大変な技術と余計な手間が必要されることが実感できた。

● 「割り矧ぎ」について、当時、「割る」ということは割り袖や割り首にみられるように制作上のひとつの手段として頻繁に用いられており、それがいかに木を理解し、効率のいい技法であるかということが分かった。

まとめ

本研究を通し、鎌倉時代の技術の高さと完成度を痛感し、さらに造形美を創造する力に圧倒された。顔・手足・衣文などの表現は限りなく写実的でありながら抽象的でもある。それは自然の美しい形の要素を抽出した造形表現である。これらの造形表現は当時の仏師が一代で築き上げたものでは決してないと模刻を通じて感じた。本像が制作された当時の奈良には平安、天平、飛鳥、そして大陸からの仏が数多くあり、快慶もおそらく、現在私達が模刻を通して学んでいるように、これらのお像を観て学び、感じ、自分の造形力を身につけてきたのであろう。古典を学び自分のものにし、そしてさらに自分なりに再構築し次に繋げていくことこそ模刻研究の醍醐味であると考える。そして、それができるのは素晴らしい文化財が現在まで伝世されているからである。その文化財を未来の人々にも伝えるための文化財保存修復の重要性を、模刻を通して再確認することができた。

謝辞

本研究に際し快く模刻を許可して下さいました華厳宗大本山東大寺様はじめ、各方面でご指導、ご協力くださいました皆様に心より御礼申し上げます。


参考文献:奈良六大寺大観刊行会『奈良六大寺大観 第十一巻 東大寺三 』 東京都:岩波書店、1978

水野敬三郎『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇 二』東京都:中央公論美術出版、2004

正面

背面
写真1 割り矧ぎ
図1
写真2 割り袖

写真3 割り首

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