雪蹊寺蔵
木造吉祥天立像 模刻制作

修士課程 中村 志野

<研究概要>
 本研究では、湛慶が制作した雪蹊寺蔵・吉祥天立像を、造立当初と同様の材料と技法に従って制作し、可能な限りその造形に迫ることにより、鎌倉時代の造仏技法を体得することを本研究の目的とする。また、失われた左手と宝髻を同時代の作例を参考にして復元することにより、造立当初の全体像を再現することを試みる。

《本像について》
 本像は、善膩師童子立像と共に雪蹊寺に安置される中尊、毘沙門天立像の脇侍である。大正7年の修復時に同毘沙門天立像の左足柄に「中尊一躰並吉祥天女禅尼師童子以上三躰 法印大和尚位湛慶」との銘記が発見されて以来、運慶の長子である湛慶の作とされている。『明月記』によると、湛慶は建暦3年(1213)に法勝寺九重塔造仏に際して、運慶に法印を譲られたため、本像はそれ以降の作であることが分かる。また『土佐国編年記事略』によると、嘉禄元年(1225)に、雪蹊寺の前身である高福寺を現高知市長浜に建立したとみえ、これに併せて三尊が造像されたとすれば、鎌倉期、湛慶50代の円熟期の作である可能性があるが、定かではない。湛慶の確実な遺作は限られており、中でも本像は人間的造形を追求しながらも、人間を超越した気高さを備え持つ優れた作品である。

《研究にあたり》
 雪蹊寺の皆様のご好意により、夏の2ヶ月間、雪蹊寺霊宝殿内において、実像を目の前にして制作させて頂くことが可能となり、湛慶の彫りを間近に感じて彫る緊張感と喜びは、何物にも代え難かった。摩耗した木地の合間には、慶派特有の、極浅い丸刀で形に沿って彫られた極めて緻密な彫り跡が見られ、近くで見ると、その峰が等間隔で全体に施されている。また、離れてみると、その彫りによって生じた陰影が像全体を引き締まった印象にしており、あらゆる角度、視点から計算され尽くした形への執念、完成度の高さは驚くべきものであった。


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